徳岡邦夫

京都吉兆 総料理長

伝統を踏まえつつも時代の一歩先を行く日本料理を追求し続ける京都吉兆の徳岡邦夫総料理長。四季折々の多様な食材の取合わせから作り出される日本料理の最高峰に、Akaitoサフラン®︎が出会った。 (Akaito Limited  高木陽子)

1960年 創業者 湯木貞一の孫として大阪に誕生
1980年 高麗橋吉兆にて修業を始める
1983年 吉兆東京店
1987年 吉兆嵐山本店
1995年 京都吉兆嵐山本店 総料理長就任
2009年 株式会社京都吉兆 社長就任

20歳で料理の道へ進むことを決意するまで

日本料理を代表する料理人、京都吉兆三代目総料理長の徳岡邦夫氏。その人柄はとても気さくで、サフランを使ったメニューの数々について目を輝かせて語ってくれた。

昭和5年(1930年)より続く老舗日本料理店の家に生を受けた徳岡氏だが、料理の道へ本格的に進むまでには意外な葛藤があった。「元々は継ぎたくなかった」と語る徳岡氏。高校時代からバンド活動に夢中になり、音楽の道を目指したが、両親や親族皆から反対を受けた。反対を押し切って音楽の道へ進むことを考えたものの、周囲に納得してもらいたいとの思いもあった。音楽は磨いた技術で人を楽しませるもので、決して悪いものではない。どうしたら皆にわかってもらえるかと悩み、幼少期から親交があり、親族もそろって尊敬の念を抱く臨済宗妙心寺派龍安寺塔頭・大珠院の盛永宗興老師に相談した。盛永老師は徳岡氏の悩みを聞いたのち、僧侶として修行することを勧めた。

自分の進むべき道を真剣に模索していた徳岡氏は、長髪をその場で丸坊主にするのも厭わなかったと言う。修行生活では風呂場担当として山に入り、薪を集め、乾燥させて管理し、割る。先輩の修行僧に教わりながら、ひたすら修行に励んだ。朝は暗いうちから寒さ、眠さ、空腹に耐えつつ座禅をする日々。薪割りをしながら、なぜか涙が止まらなくなったこともあった。

そんなある日、暗いお堂で座禅をしていると、ふと美しい山の姿から朝日が昇る感覚を得た。その時、「自分が音楽の道へ進みたいという思いは決して悪いものではないのに、周囲が皆マイナスの気持ちになり、自分自身も辛いのは何故か」という問いが浮かんだ。どうしたらプラスの状況に変えられるのか。そこで、「もし自分が吉兆を継いだら」と考えた。「元々料理は嫌いではない。皆も喜ぶ。音楽によって日本人として世界へ発信したいと考えていたが、世界に通用する料理を発信することもできるのでは?」

そう考えた時、祖父で創業者の湯木貞一氏のそばで料理を極めることが世界に一番近いことだと思えた。その決意を盛永老師を通じて家族・親族へ伝え、徳岡氏の修行僧の日々は終わりを迎え、20歳でいよいよ料理の道へと入った。

創業者 湯木貞一氏、修行お時代の徳岡氏

様々な困難を経て今日の京都吉兆へ

徳岡氏は大阪の高麗橋吉兆、東京吉兆にて修行を重ね、35歳より京都吉兆嵐山本店で総料理長として現場の指揮をとるようになった。90年代のバブル崩壊の際は追い詰められ、辞めようかとまで思ったことがあるそうだ。それでも湯木貞一氏の人間性とその料理が好きで、逃げずに料理の道にとどまった。その後も株式会社京都吉兆という大看板を担う中、様々な困難があったが、最も苦しかったのはコロナ禍だったと語る。

2020年3月、ハワイでのイベントを経て帰国した直後に米国がロックダウン。コロナによる死者数が増えていき、4月、5月と店の予約も全てキャンセルとなってしまった。終わりの見えないコロナ禍の不安。経営難で銀行に融資を依頼しても「できるだけ対応する」というはっきりしない返事。三日寝ずに必死で方策を練り、同年4月から宅配サービスを開始。社員の解雇もせず、給与を10%カット支給しながら、毎日損益計算書を睨みつつ、経営の効率化に努めた。

徐々に、予約制かつアルコール飲料を提供しないことで営業を再開できるようになり、気づけばコロナ禍前と比べてかなりのコストカットが実現されていて、素晴らしいバランスの取れた経営ができるようになっていた。コロナ禍で始まった宅配サービスを現在も続ける中、お中元やお歳暮からなる日本の贈り物の文化がより通年化していることを感じているという。

これまでで最も辛かったと振り返るコロナ禍だが、結果としては経営の効率化と新たなサービスという副産物を得ることができた。

Akaitoサフラン®︎と日本料理

和食ではあまり馴染みのないサフラン。昨年「コレージュ キュリネール ⽇本」エクスクルーシブ・ガラディナーでAkaito会長のフォードと知り合った時、サフランが日本で栽培されているということに驚いたという徳岡氏。日本料理にサフランを取り入れるならば、季節の取り合わせを楽しむ日本文化の伝統と美意識を踏まえた、新しい使い方を考案したいと考えたそうだ。

ゼリー仕立ての一品では、出汁を用いたゼリーを細かく刻み、その中に部分的にサフラン入りのゼリーを混ぜることで、サフランをアクセントとして味わってもらう。サフランと相性の良い魚介料理でも、使用したのは中心となる魚の身の部分ではなく、普段は廃棄されたり、特に管理されることのないような骨、皮、内臓などの部分であった。それらをあえて丁寧に下処理して温度管理を施し、クリアで濃厚な出汁をとった上で一部にサフランを合わせた。蛤の茶碗蒸しは、とろみを付けたサフラン液でロワイヤル仕立てとなっている。

このようにAkaitoサフラン®︎を日本料理に取り入れる試みを、徳岡氏は昨年11月のサフラン収穫直後から四季折々に続けており、京都吉兆嵐山本店を訪れる常連客に振る舞い、反応を確かめている。幸い、好評を得て、次第にAkaitoサフラン®︎を使った八寸の煮凝りなどは店の定番料理の一つになりつつあるそうだ。今後、春夏秋冬それぞれのコースにふさわしい、京都吉兆ならではのサフラン料理が生まれていくことだろう。

Akaitoサフラン®︎を使った蛤の茶碗蒸し

 

創業者 湯木貞一氏から受け継いだ日本料理で世界と交流

湯木貞一氏の言葉「世界の名物 日本料理」を今日に受け継ぐ徳岡氏の料理は、ミシュラン三つ星をはじめ数々の賞を受賞し、Luxury Japan Award Restaurant of the year 2024 ではレストラン部門第一位に輝いた。そこでは、「伝統をふまえながらも自由な発想を生かした徳岡氏の料理は、ほっとするような温かさと驚きに満ちており、季節ごとに趣を変えるしつらえと、しっとりと落ち着きのある空間で最高のおもてなしを堪能することができる」という評価を得ている。

2008年 北海道・洞爺湖でのG8首脳サミットでは社交晩餐会を担当した。世界各国でのイベント参加や講演も数えきれない。国内では地域活性化や第一次産業の現場における様々な課題解決に取り組み、現在、文化産業科学学会・名誉理事、東京農業大学・客員教授も務める。

日本文化・日本料理の伝統を守りつつも、時代に即した食へのアプローチに挑戦し続ける徳岡氏。「日本のサフランの歴史と文化を後世に伝え、生産地である佐賀県の限界集落を新たなサフランの里へと生まれ変わらせたい」と願うAkaitoにとっても、徳岡氏との今後のコラボレーションが楽しみでならない。

京都吉兆嵐山本店

京都吉兆
https://kyoto-kitcho.com/
〒616-8385 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町58
Instagram: @kyotokitcho_official