高島新

蒔絵師

祖父の代からの伝統を受け継ぐ蒔絵師。高島氏が大切にしている「技術を預かり育てる」という精神は Akaitoのサフランへの取り組みと大いに通じるところがある。今回、美術商の富士鳥居を通じてサフランをテーマにした棗制作を依頼したご縁で、高島氏に蒔絵の世界での伝統継承と更なる発展への挑戦についてお話を伺った。 (Akaito 大鷲幸奈)

高島新

蒔絵師 高島新 
1983年生まれ
2004年 石川県立輪島漆芸研修所特別専修課 卒業
     蒔絵師高島忍に弟子入り
2011年 京もの認定工芸士認定
2019年 新蒔絵工房 

蒔絵に触れて成長

幼少期から芸術を嗜む家族に囲まれ、蒔絵に触れて育ってきた高島氏。蒔絵師としての道はその頃から始まっていた。蒔絵師の祖父や両親のもとで育ち、生まれた時から蒔絵が身近に存在していた。特に祖父を慕っていた髙島氏は、祖父の仕事部屋を遊び場とし、3歳の頃から蒔絵筆を手に持ち、絵を描く喜びを覚えたという。その頃から絵を描くことが大好きで、暇さえあれば絶えず絵を描き続ける日々を送っていたそうだ。高校生の時に祖父が亡くなったことをきっかけに、蒔絵師を目指す決意をし、蒔絵を通じて祖父や自分の人生を知りたいという思いが芽生えたと話してくれた。

髙島氏は蒔絵の作品制作を通じて、自己理解を深めている。蒔絵によって自分の魂を磨き続けているため昔と比べて精神的に強くなった自分がいるという。日々の経験や物ごとのつながりを意識しながら蒔絵を行うことで、彼は技術を習得するだけでなく、魂を磨くことにも取り組んでいるのである。

先人の技術を預かり育てる

蒔絵制作において、髙島氏は技術を預かるという意識を大切にしている。先人たちの技術を盗むのではなく、その技術を預かり、育てるというイメージで制作に臨んでいるそうだ。

髙島氏はその違いについてこう語る。

作品から技術を盗むめば、自分の身にはなっても、そこで満足して終わりとなってしまう。だが、預かるのであれば、できなかったことができるようになり、さらに向上心を持って技術を育てることができる。

彼にとって技術とは、預かることで新たなインスピレーションを得られるもののようである。預かった技術をもとに試行錯誤し、魂を込めることによって、髙島氏は作品に深みと豊かな表現を生み出している。

髙島氏は蒔絵の魅力として1000年前からの日本独自の技法と伝統的な技術であることを挙げる。彼は特に江戸時代から明治・大正・昭和初期にかけての「神がかった」仕事をした蒔絵師を尊敬しており、作品を通して彼らと繋がる点を魅力に感じている。また、漆を筆に吸わせて描く瞬間について、蒔絵師独自の息の仕方で集中し、筆先から漆を置いていく感覚で、ゆっくり書くそうだ。漆の粘度によって筆先の置き方も変えるという奥深さこそが、蒔絵の面白い部分だと言う。

髙島氏の道具をいくつか拝見したが、蒔絵師にとって筆が特に重要であることを実感した。筆の毛先部分が半透明になっている「水毛」と呼ばれる部分が特に大切だが、現代ではこの水毛がしっかりしている筆を見つけるのが難しくなっており、過去の作品のように繊細な線を描くのは非常に困難だ。なんでも、昔の筆は琵琶湖の木船に住んでいたねずみの毛を使用しているそうで、もう手に入らない。ねずみの毛で筆を作れる職人もほとんどいないそうだ。髙島氏はこのような点では蒔絵の伝統が危機的な状況にあると感じている。

インスピレーションを新たな作品へ

髙島氏は、先人が残した作品に触れ、インスピレーションを受け、自分もインスピレーションを与える存在になりたいと語った。もっとすごいものを作りたい、何十年後何百年後の人たちに刺激、興味を与えたいという気持ちで作品を制作しているそうだ。しかし顧客から制作の依頼を受けた際には、共同制作を意識しているとも語った。自分の枠にとらわれず、顧客の意見からインスピレーションをもらい、皆が満足する作品を制作することを心がけている。このような柔軟さも魂が磨かれているからこそである。彼の作品は先人たちの技術と魂を受け継ぎながらも、新たなる時代に輝きを放つことだろう。

左から富士鳥居 栗原様、筆者、髙島氏、富士鳥居 石橋様。
最後に「一緒に蒔絵しましょう!」と高島氏。